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アメリカ自動車コラム

<No.14_010313> 題目:日本のIT革命の遅れに思う

ウィスコンシン大学の図書館で、パソコンを使って文献検索をしていると、その検索スピードは速く、調べ物の9割近くがその場でわかり、8割近くがその日の内に入手出来たりします。

日本も情報の高速通信網が整備され、携帯電話でもインターネットにアクセス出来るなど、ハード的にはインターネット先進国の仲間入りをしていますが、情報検索やソフトに関してはまだ遅れているように感じます。

1980年始めには日本も、NECのPCシリーズ(8801、9801など)、シャープのMZシリーズ(MZ-80など)の高性能パソコン、ネットワークでは日経のニフティ・サーブがなどがありました。

日本にも独自のネットワーク網がありましたが、いずれもインターネットのような成長までには至りませんでした。日本は欧米マシンには負けない独自のネットワーク技術を持ちながら、なぜここまでインターネットに負けたのか? という疑問を最近抱くようになり、また悔しくも思います。

ここで、インターネットの歴史について簡単に振り返ってみたいと思います。

1960年代初頭:インターネットの前身である「アルパネット(ARPANET)」がスタート

69年:アメリカの4大学でアルパネットを使ったネットワークが組まれ、成功を収める
(この年は人類が初めて月面に降り立った時でもある)

73年:イギリスとノルウェーにアルパネット接続

81年:213のホスト・コンピュータが出来る

82年:「アルパネット」が「インターネット」と名前を変えて普及するようになる

82年:「TCP/IP」がインターネット用言語に認められる

それからもインターネットは、パーソナルコンピュータ、ミニ・コンと呼ばれた小型のスーパーコンピュータの成長とともにユーザを増やしました。そして、

84年:ホスト・コンピュータが1000台を突破

85年:Eメールがアメリカの大学内で広く普及

89年:ホスト・コンピュータが10万台を突破
(日本のバブル経済の絶頂期)

91年:「WWW(ワールド・ワイド・ウェブ)」が生まれる

94年:インターネットのブラウザソフトである「ネットスケープ」で
「ピザ・ハット」の注文を受けることが出来るようになる
(現在のインターネットビジネスの始まり?)

96年:ホスト・コンピュータが10億台を超え、インターネットが世界をカバーするようになる

歴史を見ると、84年頃より急激に需要が増加していることがわかります。84年頃の日本のパソコンといえば、一般の人でもなんとか買える(1台40万〜80万円程度だったと思います。)ところまで来おり、日本でも独自のコンピュータネットワークを主導できる環境にあったわけです。

特にハードウェアは世界トップレベルであったと思います。あとはモデムでコンピュータ同士を繋ぐだけで、技術的には解決できたはずなのです。

では、なぜ日本は世界のコンピュータネットワークを主導できなかったのでしょうか?

コンピュータ関係の会社に勤めている友達がその答えの一つを語ってくれました。

それは、当時の企業はコンピュータ単体の性能向上に目がいったため、異なる製造メーカーのコンピュータを繋いでネットワーク環境を作り出すということをあまり重要視しなかったといいます。

つまり、コンピュータ・ネットワークが社会構造を変えるほどの産業に成長することを予想出来なかったのでしょう。(アメリカも当時、それを予測していたかは疑問ですが、情報産業に対する投資は早くから行われていたことは事実である)

これからの社会、特に自動車産業などの成熟産業は、何でも業界で一番になれなければ淘汰され、生き残れない状況になりつつあります。

業界一番となるためには、どの技術が生き残り発展するか、技術の芽が小さいときからその判断をする能力がますます重要になってくるのではないでしょうか?

私たちもこのインターネットの失敗から何かを学び取って、次世代技術の世界のリーダーになりたいものですね。おっと、アニメーションとプレステ&ニンテンドーがあったか。

 

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